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夜間中学よこはま自主講座

2012年11月19日(月)

10月から始まった「夜間中学よこはま自主講座」(みんなで考える 夜間中学(学校)で獲得する『力』とは?)が、二回終了しました。
その講座の感想を庄司匠さんがお寄せくださいました。この感想にもあり通り、毎回大変充実した学びの場になっています。お一人でも多くの方がご参加くださいますように、ご案内申し上げます。
次回以降の予定は以下の通りです。

12月15日(土)「英語」 講師:西田光子さん(元夜間中学英語科教師)
1月19日(土)「国語」 講師:石原久子さん(元夜間中学国語科教師)
2月16日(土)「進路・学校生活」 
             講師:須田登美雄さん(足立区立第四中夜間学級教師)
いずれも、午後1時半〜3時半 場所は 横浜市市従会館(桜木町下車10分)http://www.siju.or.jp/hall_info

感想

10月27日に「夜間中学よこはま自主講座」の第1回目「日本語」が開かれ、11月17日には第2回目「数学」が開かれました。

 この自主講座は、「神奈川・横浜の夜間中学を考える会」が以下のような目的の下に開いているものです。私たちは、神奈川・横浜の夜間中学における教育条件を改善しようと活動している団体です。その活動が発展して、今年は「つるみえんぴつの会」という自主夜間中学のような活動も始めました。こういう活動を進めていくにあたって、いったい夜間中学校というところではどんなことをどんなふうに学んでいるのか、教えているのか、ということを具体的に知り、それを参考にして自分たちでよく考えることがとても大切だと考えました。この講座は、横浜や川崎でいま夜間学級の教育に携わっている先生にも、つるみえんぴつの会で勉強支援に関わっている人たちにも、勉強の支援を受けている生徒さんにも、さらに東京やその他の地域で夜間中学校の先生をしている人にも、当日の講師の先生にも、深い学びが可能になるような場を目指しています。

 これまでの2回の講座で私にとって特に印象深かったこと、また、講座をきっかけに考えたことを書いてみます。

 第1回目のテーマは「日本語」で、講師は帝京大学教授の土屋千尋さんでした。話の中で土屋さんは、日本語教育それ自体を自己目的とすべきでない、という趣旨のことを言われました。私はそのとき、土屋さんが何を言わんとしているのか、直ちには了解できませんでした。それで、その疑問がずーっと頭に残りました。後になって、土屋さんのレジュメを読んでみたところ、夜間中学校の教育は人格の発展を目指す普通教育であり、日本語教育もあくまでその一環として位置付けられるべきである、という趣旨のことが書いてあり、この記述をみて、先の疑問が一応は解消しました。しかし、さらなる疑問が湧いてきました。夜間中学校における日本語教育が普通教育の一環であるべきだ、というのはあまりにも当たり前のことであり、あえて主張する必要もないことのように思えます。それなのにあえてこのような主張をしているということは、日本語教育というものを単なる言語技術の習得といった機械的な作業に止めてはいけない、というような一般的な思いないし危惧を土屋さんがお持ちになっているからではないかと推測されます。このあたりのことを、機会を改めて土屋さんから詳しく話していただけたらいいなあと思っています。
 私自身は日本語教育について次のような疑問ないし意見を持っています。
 第一に、「正しい」日本語を身につけるということを一面的に強調し追求することは、費用対効果の観点からいって適当ではないと思います。その人がどういう目的で日本語を使おうとしているのかに応じて、身につけるべき日本語の「正しさ」の程度に差異があってしかるべきではないでしょうか。サバイバル・イングリッシュに相当するような最小日本語、ベイシック・イングリッシュに相当するような簡易日本語、プレイン・イングリッシュに相当するような平明日本語といった諸段階を設定して、それぞれの段階において必要な文法を最小限の形にまで徹底的に整理して学習者に提供することが必要でしょう。
 第二に、日本語を独習できるような学習システム(どういう教材を使ってどういう方法で学習すればよいのか)を確立して日本語学習者に提供すべきだと思います。日本語学習者のみんながみんな、直接先生について学ぶことができるわけではないからです。以上2点は日本語教育ないし日本語学習の技術的な側面に関わる話ですが、日本語教育に専門的に携わっている方がたがこのあたりのことをどのように考えているか、ぜひ教えていただきたいと思っています。

 自主講座第2回目のテーマは「数学」で、講師は、長く夜間中学校で教鞭を取られている和知修二さんでした。参加者が少なかったことは残念ですが、話の中身は充実していて、私にとって大きな収穫がありました。
 私は、数学と記憶の関係について和知さんに質問してみました。どの科目でも最小限の知識の記憶ということが学習者に要求されるのが一般ですが、数学の場合の記憶対象は日常生活からかけ離れていてきわめて覚えにくいという性質を持っているので、記憶をどこまで要求するのかということが深刻な問題になるからです。
 この話の中で、和知さんは、実際のところ掛け算九九を全部は覚えられないという生徒さんがいるということを言われました。こういう生徒さんがその先の数学を勉強することはきわめて難しいということも言われました。ここには教師側が考えなければならない重大な問題がいくつか埋まっているように思われます。
(1)掛け算九九を暗記する何かよい方法はないか。
(2)掛け算九九を、暗記でなく、計算(暗算)で出す良い方法はないか。
(3)上記のいずれもうまく行かない場合は、九九の表を見ながらその先の数学の勉強をするということでよいとすべきではないか。
(4)このような生徒さんにとって「数学を学ぶ」とは何をすることなのか。それとも、このような生徒さんが数学を学ぶことは不可能だ、と考えるべきなのか。もし後者のように考えるなら、論理的に詰めると、こういう生徒さんに卒業認定をすることはできない、ということにならないか。この問いに対する私の考えを言いますと、「数学を学ぶ」ことの本質は、物事を自分が納得するまで徹底的に理詰めで考える姿勢を身につけること、ではないかと思います。このように考えるかぎり、九九を覚えられない生徒さんでも数学を学ぶことはできるといえます。もちろん、「徹底的に理詰めで考える」ことは「非人情」につながりますから、一面的にその方向に突っ走ればよいというものではありません。文学的思考や芸術的思考によって相対化することは必要でしょう。しかし、「個人の尊厳」の核心をなすのが「自分のことは自分で決める」ことである以上、その自己決定を確かなものにするために、数学的精神を鍛えることはほとんど必須といえるほど重要ではないでしょうか。
 実は、この数学的精神を和知さん自身が見せてくれました。「分数で割るという計算をするときに、分母と分子を入れ替えて掛け算にするのはなぜなのか。」という問いに対して、和知さんは自分で納得する回答を見つけるまでその場で考えました。私は、納得のいく理由を知れたこともありがたかったけれど、それ以上に、そのときの和知さんの振る舞いに興味を惹かれました。私は数年前から、ある仮説を立てています。それは、「優れた教師は、教えない。」というものです。「教えない」とは知識の伝達に重きを置かないということです。なぜかというと、他人から一方的に与えられた知識は、自分の中に切実な問いが成り立っていない人にとってはガラクタにすぎず、あっという間に記憶から消え去ってしまうからです。だから、教師は「教えないで、学習者を学びへと導く」ことが重要です。そのためには、教師自身が学ぶ喜び・学ぶ楽しさを感じている様子を学習者に見せることが有効な方法だと思われます。ただし、学びというのは、それまでの自分がなんらかの意味で否定されて新しい自分が生まれる過程ですから、奥深いものであって、単純に楽しいだけの薄っぺらいものではありません。それまでの無知な自分や浅はかだった自分をさらけ出す知的誠実さも必要ですし、真実を求める探求や吟味の苦しい過程(要するに、ああでもないこうでもないと考えたり議論したり調べたりすること)に堪えることも必要です。こういった恥ずかしさや苦しさも含む知的探求を自らやってみせ、あるいは学習者とともにやることによって学ぶ喜びを伝える、そこに教師の決定的な役割があるように私には思われます。
 2次方程式の解き方には因数分解と解の公式以外の第3のやり方もあるとか、その他たくさんの興味深い話を和知さんはしてくださいましたが、それらの報告は省略します。

 これまでの2回の講座は、どちらも知的刺激に満ちた実に心豊かな時間でした。2人の講師の先生に心から感謝申し上げます。

(庄司匠)
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